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マイナー武将とは言わせない!
ここでは、遠江相良氏や肥後相良氏について語ります。
言うなれば、相良氏ファンサイトですよ。




 
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出世出世仕事仕事と励んでいた頼兄にも、当然お嫁さんはいました。

ひとり目は、椎葉山(しいばやま)の権力者、那須弾正の娘・露袈裟(今朝・つゆけさ)ちゃんでした。
なかなかの美人だったそうで、その美貌を見込まれて犬童家の頼兄のもとに嫁したそうです。
…しかし。
のちに彼女は不義を働いたとの理由で実家の椎葉山に追い返され、そしてそれが「椎葉山事件」に繋がるのです。

椎葉山は肥後と日向の国境にある山で、「山岳重畳たる」そこには13の集落がありました。
それぞれの首長はみんな那須姓を名乗り、彼らは椎葉13人衆と呼ばれていました。
その中でも、特に才気にあふれていたのが那須弾正でした。
自然、弾正が椎葉山の総支配者のようになり、その他大勢・12人はそれを妬んでいました。
どうにか立場を覆せないものかと彼らがやきもきしていたところに、権力者の娘が離縁されて実家に帰ってきます。
「これは椎葉衆の不名誉だ」
12人衆は、好機到来とばかりに弾正の息子・久太郎(露袈裟ちゃんの兄貴)方に乱入、久太郎は肥後へ出、江戸まで逃げて幕府に訴えました。
幕府は久太郎と12人衆を対決させますが、なかなかすっきりとした結論が出ません。
そこで、幕府は延岡の城主・高橋元種に弾正・久太郎父子を保護するように命じ、これによってようやく久太郎は椎葉山に帰ることができました。
しかし、その後高橋家が改易になったので、好機再来の12人衆はついに弾正父子を討ち取ってしまいました。

徳川実紀によると、この椎葉山事件のとき相良長毎は兵を出すように命じられ、さらに用心をとって、延岡の有馬氏、佐土原の島津氏、熊本の加藤氏にも兵の準備をするよう指示があったそうです。
激しい椎葉山攻略戦の末、村民男女1000人が捕らえられ、首長ら140人が斬られ、女性の自殺が20人にも及びました。
このほかに、人吉や肥後国境の江代(えしろ)に出向いていた者も殺されているので、総勢200人近い人数が殺されたり自殺したりしたことになります。
大惨劇でした。

事件後、椎葉山は土豪支配領から天領となり、肥後の阿蘇神主家にその管理が命じられました。
しかし、阿蘇家が37年間に渡りその役を辞退し続けたので、結局、椎葉山は相良家支配所となって明治に至りました。
支配地が増えたといっても、欠落(かけおち)・逃散・訴訟など、椎葉山事件は長くずるずると問題を起こし続けたようで、相良家にとっては迷惑な存在だったそうです。

ふたり目のお嫁さんは、なんと他人から横取りしました。
彼女の名前は分かりませんが、旦那の名前は蓑田甚兵衛と言いました。
よほど頼兄の好みだったのでしょうか、頼兄は旦那を殺してまで彼女を自分の嫁にしました。
そんなふたり目のお嫁さんには、すでに息子がいました。
田代半兵衛頼昌と言い、母の再嫁後は犬童家の養子になりました。
父から母を奪った上、父も殺されたというのに、頼昌は養父・頼兄の権力に頼り、財力に甘えて羽振りのいい生活を楽しんだそうです。

ちなみに、この田代半兵衛は犬童半兵衛とも言い、御下の乱で藩の寄手と戦った人物です。
実際、頼兄は「椎葉山事件の詳細を聞きたい」という口実で江戸に呼ばれていたようで、2代藩主の頼寛に自分の専横を訴えられていることは知らなかったそうです。
対して相良藩江戸屋敷では、頼兄が幕府の召喚命令を拒否した場合に備えて、その対策を2人の使者に託し、帰国させていました。
頼兄と入れ違いに帰国した使者2名。
そのうち1名は頼昌に捕らえられ、江戸の様子を聞き取ろうとする彼に責め殺されてしまいます。
もう引き下がれなくなった犬童半兵衛は覚悟を決め、一族郎党と共に藩に立ち向かい、散りました。

ふたり目の嫁の手に入れ方を知ったとき、管理人は初めて頼兄の中に漢を見ました(笑)。 17:37

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