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マイナー武将とは言わせない!
ここでは、遠江相良氏や肥後相良氏について語ります。
言うなれば、相良氏ファンサイトですよ。




 
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『相良清兵衛 伍』に続く前に、ちょっとここで楽しいお知らせ。
今月14日の日曜日、九州大学箱崎キャンパスにて、犬童頼兄が主人公の劇が公開されるそうです
そのタイトルも『広目天の眼 不知火の海』。
島津氏vs龍造寺氏の沖田畷の戦いが舞台だそうですが、その戦いを肥後の犬童頼兄を中心に見ていく展開が面白いです。
公演特設サイトをリンクに貼りましたので(相互リンク)、ぜひご覧ください。

下は、よりあにくんが劇に出るのが嬉しくて描いた1枚です。
今日中に仕上げようとしたのですが、パソコンとの数々の戦いに打ち破れ、途中のままのアップになってしまいました。
祝賀よりあに
(画像クリックで拡大)
妙に上が空いているのは、なにか文字を入れようかと企んでいるが故です。
持っている旗印には、相良の家紋・長剣梅鉢を押し込む予定。
のちほどきちんと色塗りが終わったら、差し替えておきます\(゜ロ\) 23:08
→差し替えておきました。
  空白に文字を入れてみたのですが、なかなかorzな出来なので、下の「よりあにーズ」に隠しました。

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巷では、家紋を使ったストラップやらタオルやら溢れているのに、どういうわけか相良家関連のものはひとつも見当たりません。
たいてい、伊達・真田・武田・毛利氏や、来年大河ドラマの直江・上杉氏のものばかりです。
じゃ、企業が作ってくれないなら自分で作ってしまえということで。
↓たぶん全国初の(笑)『相良ストラップ』!
keyholder.blog.jpg
(画像クリックで拡大)
これは、市販の手作りキーホルダーキットを使って作ったものです。
イラストなり写真なりを本体に合うように切り取り、はめ込むだけの簡単なもの。

でも、丹精込めて作りたい…ということで、キットを買う前に作り始めていたのがこちら↓
strap-seisakumae.blog.jpg
(画像クリックで拡大)
ホームセンターで柔らかめの板を買ってきて、家紋を写し取りました。
彫っていきます。
strap-seisakuchu.blog.jpg
(画像クリックで拡大)
これで一応原型完成。
しかし、家紋の円の下にある細い線は5本とも全滅しました(^◇^);
strap-seisakugo.blog.jpg
(画像クリックで拡大)
周囲を紙やすりで擦って全体を小さくし、これで完成。
画像ではクッキーに見えますね(笑)。
これに金具を取り付ければ和風相良ストラップができたのですが、どこの店に行っても金具が売られていませんでした。
よって、ストラップとしての完成は見送りですorz

これを付ければ、きっと相良氏の認知度が上がる!
……上がる…かな…。17:17

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20,21日にかけて、某氏のご自宅にお邪魔して参りました。
ほんとうに広くて…下の写真はほんの一部です。

kumamotojo-nagabei.blog.jpg
(画像クリックで拡大)

熊本城の長塀です。
相良の城にも長塀がありましたが、さすが清正公さん家は規模が違いました。
建物も石垣も、なにもかもが長いし、大きいし、人手が掛かっているしそれに…銭もかかってます(笑)。
今年4月に本丸御殿が完成したように、近年復元作業が相当な速さで進んでいるようですね。
それもただ昔の建物を造るだけではなくて、見せる(魅せる?)ためか綺麗に芝生が植えてあったり、樹木が整えられたりしていて、見学するには快適な環境でした。

人吉城址は「好きに見てくれ」と24時間開放されていましたが、熊本城は場内3箇所に関所…料金所があり、見学できる時間帯が決まっていました。
頼めばガイドも付くらしく、管理万全至れり尽くせり。
城の中は、加藤家や細川家、西南戦争の史料が展示されていました。
ちょっと下心つきで見たのですが、相良関連にはかすりもしませんでした(笑)。

総括。
見せようとする心意気が抜群だったので、かなり見応えのある城でした。
加藤家改易後の肥後国主・細川家よりも、たった20数年の間肥後を統治した加藤清正のほうが重点的に扱われていたのが面白い。
また写真を撮ってきたので、ちょこちょこと出していこうと思います。

おまけ。
seishokosembe.blog.jpg kumashochu105ml.blog.jpg
(画像クリックで拡大×2)
左は「清正製菓」の清正公せんべい、右は105 mL球磨焼酎2本セットです。 14:51

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管理人の地元にも、一応城というものがあります。
ながく足を運んでいませんでしたが、先日、駅前に行く用事があったのでついでに覗いてきました。
備後福山藩の元の藩主・水野家と、水野家改易後移封されて来た阿部家の居城…だったかな(あれ)。
水野家と言えば、相良氏の関ヶ原寝返りの際、相良氏が獲った西軍武将の首受け渡しの仲介人で、大垣城包囲軍にいた水野勝成です。
(写真はすべて画像クリックで拡大)

城入り口に上っていきます。
奥に見える門を抜けると…
fukuyamajo-7.blog.jpg

右手側に、突然城が現れるのです(笑)。
城内部にも入れるようになっています。
fukuyamajo-4.blog.jpg

城の反対側を撮った写真です。
割とすっきりめの内部です。
fukuyamajo-5.blog.jpg

ここを通ると、城を出られます。
立派だな、と思ったので1枚。
fukuyamajo-6.blog.jpg

端のほうに重要文化財を見つけました。
fukuyamajo-3.blog.jpg fukuyamajo-2.blog.jpg

上の鐘櫓の前から、もう1度城を。
fukuyamajo-1.blog.jpg

福山城は、人吉城に比べてすっきりと簡素な場所でした。
きつい階段も無ければ、苔の生えた中世風の雰囲気もありません。
復元に復元を重ね過ぎた城のように思えました…と、地元にいてもさがら寄りな管理人でした(笑)。
 
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今回の記事は、ほんとうにしょーもないです。
でも書きたかったので、お目汚しを承知の上で書いてしまいます。
↓↓↓

踊るシリーズの有名な台詞のひとつ、
「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」。
これを関ヶ原合戦時の島津義弘に言わせたい。

島津家は当初東軍につくつもりで家康にとある場所の守備を申し出ましたが、家康に断られてしまい、面子を潰される形で西軍に属したそうです。
そして合戦中は傍観を貫き、敗戦が決するや「島津の退き口」を東軍の連中に見せつけたのは関ヶ原合戦の魅力を語る上で外すことができません。
そんな島津家のトップは当主の義久、しかし当主と同等かそれ以上の実力をもっていたのが弟の義弘でした。
かの天下人秀吉も、島津家に相談事をする際は義久にするか、義弘にするか悩んだそうです。
役割分担、と言うと意味合いが違いますが、陰で戦の指揮を執るのが義久、実際に合戦場に出て戦うのが義弘、というふうに分かれていました。
関ヶ原合戦の際も、現地に赴いたのは義弘でした。
しかし、義弘がもっていた兵や物資は、合戦を戦い抜くには足りませんでした。
そこで義弘は、兄に兵や物資を送るようくにに手紙を送ります。
が、薩摩が遠国のために中央の情勢に疎かったのか、くににいる兄・義久は、「それは必要ない」と返事を出し、なにも援助してやりませんでした。
負けずに義弘は何度も要求しますが、すべて断られてしまいます。

ここで上の台詞を言わせたい。
「合戦は薩摩で起きているんじゃない、関ヶ原で起きているんだ!」

…こんなことを書いて送ったら、義弘強制帰国→切腹、が妥当な式だったでしょうけどね(笑)。
勝手なイメージながら、義久には冗談が通じそうにないので(^◇^);
…で。
結局、兵は薩摩から自主的に戦いにやってきた人数で補ったそうです。
これが結構な人数だったそうですから、義弘が相当慕われていたことがわかります(美談で終わろう)。

もうひとつ「踊る」関連でネタしょーもない小話があるのですが、上の話のあまりの寒さに夏を忘れた方はぜひブラウザバックを(苦笑)。

2つ目の台詞は、
「レインボーブリッジ封鎖できません!」。
これを島津家に言わせたい時期は、関ヶ原合戦後、薩摩に戻って国境を閉ざし固めた頃です。

関ヶ原後、家康東軍にとって戦犯国である薩摩は「いつでも来い」と言わんばかりに戦意旺盛だったそうです。
家康は島津の強さを知っていましたし、天下をとって間もない頃に全国の大名を動かして薩摩を攻めさせれば大乱が起き、また戦国の世の中になる恐れがある、として薩摩征伐には乗り気ではありませんでした。
それでも攻めさせるならば、地理的に近く、その上武勇において名高い熊本城主・加藤清正だという意見が多かったようです。
島津氏は、攻めて来るなら加藤清正、それも薩摩大口郷から入ってくるだろう、と予想していました。
そのため、彼らは島津家きっての名将・新納武蔵守忠元を大口の地頭にし、守備させました。
当時忠元が作ったという軍歌があることは以前記事にしましたが、ここにもう一度その歌を呼んでみます。

『肥後の加藤が来るならば 焔硝肴に団子会釈 団子は何たど鉛団子
 それでも聞かずに来るならば 首に刀の引き出物』
忠元はこれを士卒に歌わせ、士気を高めさせたそうです。

ここで上の台詞を言わせたい。
「大口郷封鎖できません!」

…島津氏はむしろ加藤清正が好きだったようなので、逆に「封鎖したくありません」かな…。
…で。
結局、加藤清正による薩摩征伐はありませんでした。
くにではこのように臨戦態勢を保ちながらも、大阪では家康の機嫌をとりつつ、しかし所領安堵は譲らず、硬軟取り合わせての外交術を以ってついには家康の首を縦に振らせました(サクセスストーリーで終わろう)。

無駄に長いのに、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
関ヶ原と言いその後の外交と言い、島津氏の豪快な振る舞いは見ていて気持ちがいいです。 0:56

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欲しいもの:日本刀と笛
なりたいもの:相良氏の領民(笑)。
贔屓の相良氏:第11代長続公
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