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マイナー武将とは言わせない!
ここでは、遠江相良氏や肥後相良氏について語ります。
言うなれば、相良氏ファンサイトですよ。




 
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酢酸エチルやエタノールは、シンナーに似たにおいがするのですが。
「これ、懐かしいにおいがする」
と言ったら、相方が、
「若き日の過ちだな」
と、にやりと笑いました。

吸ってないよ(笑)!

…それでですね。
↓血迷いすぎ。 orz
indou-highkick.blog.jpg
(画像クリックで拡大…)

「犬童ハイキック」って語感がいいな、とは前々から思っていたんですが。
それを可視化するべきではなかった。
久々の更新、しかも400訪い超えした直後の更新がこれです。
ぼくが蹴られてしまえばいい。

こんな駄絵にまみれてきたSAGARA BLOGですが、400訪いありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願い致します。 0:57

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毎度お馴染み、犬童頼兄氏。
昨夜、急にかわいい(!)…訂正、親しみやすいよりあにを描きたくなり、挑んでみました。
その結果がこれです↓
indou-yoriani.blog.jpg
(画像クリックで拡大)
以前よりは「まだ見られる」雰囲気になったと思います。

遊んでみました↓
indou-yoriani-2.blog.JPG
(画像クリックで拡大)
これでこそ頼兄ですよね(笑)。
主家の家紋を突っつくなっての(^◇^)。

全体的に青色で涼しげなので、さらに遊んでみました↓
indou-yoriani-3.blog.jpg
(画像クリックで以下略)
相良家筆頭家老が送る、暑中見舞い。
2008年の暑中見舞いは、これで勝負です。

…とまぁ、結果的に3つ子のよりあにができたわけです。
お持ち帰りはご自由にどうぞ。
…だれが持ち帰るんだろうか(笑)! 0:34

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この間、友人と雨宿りをしながら(笑)、同意を期待せずに
「司馬遼太郎の描く女の子って、あまり可愛くないと思わないか」
と話を振ってみました。
すると、
「うん。なんていうか、男らしいというか、ガサツというか…。はかなくない」
意外に同意の答えが返ってきました。
その友人は司馬遼太郎氏の本を結構すみからすみまで読んでいるので、少なくとも管理人よりは意見に信憑性があります。
なんだかね。
彼の描く女の子には、繊細さが足りない。
男には女の心情なんてそう分かるものではありませんが、他の男の作家が描く女より、心理描写に手抜きを感じるわけでして。

…なんて、若輩者が知ったようなクチを利いているわけでして(^◇^);

実は管理人が気に入っている、「犬童清兵衛頼兄」カテゴリー。
しかしこのカテゴリー名を見るだけで、書き手がいかに彼について知らないかが分かりますね。
頼兄が「清兵衛」と名乗る前に、彼は「相良」姓を主君からもらっているのですから、正しくは「相良清兵衛頼兄」か「犬童頼兄」の2通りしか無いわけです。
なにも知らなかった orz 1:30
【加藤清正誕生/死去】永禄五年(1562)/慶長十六年(1611)6月24日

秀吉子飼いの勇将で賤ヶ岳七本槍の一人として知られる後の熊本城主・加藤清正が生まれる。
父は清忠。
また慶長十六年(1611)の同日、清正が居城の熊本城で病没。
毒殺の噂が流れる。
享年50歳。

豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳七本槍の一人として知られる加藤清正は、永禄五年(1562)のこの日、清忠の子として尾張中村に生まれました。
幼名虎之助、のち主計頭(かずえのかみ)、肥後守に任ぜられます。
三歳の時に父清忠が病没、五歳の時に母・いと(伊都)とともに津島へ移り幼年期を過ごしますが、この津島時代に近所に住んでいた同じ年頃の力士・才八という少年と仲良くなり、後に力士は森本儀太夫秀虎、才八は飯田覚兵衛直景と名乗り清正の家老となっています。

やがて清正母子は縁戚関係にあった羽柴秀吉の庇護を受けることになり(一説に清正の母と秀吉の妻おねが義姉妹という)、十五歳の時に秀吉を烏帽子親として元服、加藤虎之助清正と名乗り百七十石を与えられて秀吉の小姓として取り立てられました。
二十歳の時に秀吉の鳥取城攻めに従って初陣を果たし、続いて備中高松城(岡山市)攻めの前哨戦にあたる冠山城(同)攻めや山崎合戦でも活躍しますが、何と言っても清正の武勇を広く世に知らしめたのは賤ヶ岳の戦いです。

この戦いの前に秀吉は「大垣大返し」という強行軍を行いますが、その際清正の馬が替え馬共々脚を痛めたため、清正は徒歩で従軍して木之本まで駆け通したという逸話が残ります。
その後、追撃戦では真っ先に駆け出して柴田勝家方の大聖寺城主・拝郷五左衛門家嘉の鉄砲頭・戸波隼人を討つと、秀吉方から勝家方に寝返った山路将監正国をも組み伏せて首を挙げるなど活躍、「賤ヶ岳七本槍」の一人として大きく喧伝されました。

その後も数々の戦いで活躍、やがて肥後半国二十五万石を与えられ熊本へと移りました。
特に朝鮮役では「鬼上官」の異名を取り、虎退治など数多くの武勇譚が残されています。
しかしこの戦いで石田三成・小西行長らと対立、関ヶ原の戦いでは徳川家康に加担して九州を固め、戦後に肥後一国五十二万石の大大名となりました。
清正は豊臣家の恩も忘れず家康と秀頼の和睦に心を砕き、ついに慶長十六年(1611)三月、二条城において秀頼・家康の会見を実現させますが帰国の際に船中で発病、回復することなくこの日熊本城で没しました。

以上は、戦国系サイト「戦国魂(せんごくだま)」からの抜粋です。
文章を盗ってきてしまい、ごめんなさい…。

今年の2月でしたか。
NHK「その時歴史が動いた」で、熊本城含む加藤清正について特集していました。
あの城には、本丸に繋がる隠し通路があるそうですね。
これは清正を守るためではなく、豊臣秀頼を守るためのものだったそうです。
それほどまでに、豊臣家に忠誠を誓っていた加藤清正。
彼は三成が憎いがために関ヶ原で家康側につきますが、合戦後、家康にとって豊臣家恩顧の大名である加藤清正は邪魔な存在でした。
よって、清正の子の代で加藤家は改易されています。
酷い。
そして、「きよまさ」と打とうとして「きよましゃ」になった己のタイピング能力も酷い。 0:32

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♪野望はあるか 義はあるか
  情けはあるか 恥はあるか
  あいにく本日 未熟者
  わたくし本日 未熟者(中島みゆき「本日、未熟者」)

何気なく聴いていて、なんだかこの歌詞は引っ掛かるなー、と思っていたら。
これ、相良さんじゃないですか?
自意識過剰ならぬ相良意識過剰ですよ(^◇^);
相良氏は、
「野望は(まぁ)あるよ 義はないよ 情けもないよ 恥もない」
義があれば、裏切りも企てませんし下心も抱きません。
情けがあれば、一緒に働いている味方を裏切りの手土産にしたりしません。
恥があれば、上記のことなんてしないでしょう。

♪それでこうして優しい人をおろおろと探しているんです

確かに、優しそうな…つまりは付け入りやすそうな(!)人を探していますね。

相良氏が未熟者かどうかの判断は、人それぞれでしょう。
義の人・大谷吉継、上杉謙信、直江兼続などの武将が好きな人には、相良なんて未熟者、果てには武将失格と思えるかもしれませんし。
管理人は。
不義だろうがなんだろうが、生き残ることに必死な相良氏は正直なやつだと思います。
格好つけて、理屈で己を抑えて、美徳を語りながら死んでいくのも一興でしょう。
でも、じたばたしながら自分の血を守ろうとするのも、生臭くて、人らしくて、いいじゃないですか。
今でも、義に従って…現代風に言うなら、道徳に従って死んでいく人もそういません。
そう考えたら、相良氏の生き様は現代の人に似通ったものがあって、なんだか親近感が湧きます。

相良氏は飾らない人。
それゆえに親しみやすい人です。
…すこし、下心があるけれど(笑)。

無駄に話が長くなりました。
ところで、先日当ブログにアンケートを設置いたしました。
半年に1票入れば上等、と構えておりましたら、早くもその1票が投票されていました。
ありがとうございます。
投票してくださった項目も最高です。
期間は2020年までとなっております(笑)。
気が向いたら、ぽちっと投票してやってください。4:22

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なりたいもの:相良氏の領民(笑)。
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