ここでは、遠江相良氏や肥後相良氏について語ります。
言うなれば、相良氏ファンサイトですよ。
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マイナー武将・相良氏ファンサイト。
前のテンプレートのほうが断然カッコいいのですが、既製品をダウンロードして使用するより、そろそろ自分だけのデザインのテンプレートを作ってみたいと思いましたので。
だからと言って、自作の「キジ馬氏with相良家家紋」絵を使うところが、管理人のセンスの悪さ(笑)。
さて。
テンプレートも変わりましたし、心機一転、張り切ってブログ活動を続けていきますよー。
相良氏のイイトコロを探し出して、褒め称えましょうぜ!
↓コレはYahoo!ニュースの画像です。
熊本城型の墓石ですよ。「あの世で城主」か…悪くないかも(笑)。 2:48
以前より、島津氏寄りの発言が目立ち始めていた管理人。
当初は、相良氏を呑もうとする、単なる敵対勢力としか見ていませんでした。
しかし。
調べれば調べるほど、味の出てくる一族なんです。
人気が高いから、こちらが求めれば、彼らの情報はいくらでも手に入る。
この環境は、相良家にはなかった。
知りたくて探して、ようやく見つけても、その情報はほんの切片に過ぎなかったりね。
その切片を拾い集めて、イメージを作り出すのも面白いと言えます。
ただ。
覇気が欲しい。
独特の気風、武骨の精神が欲しい。
そういう理由で、当カテゴリーを新設いたしました。
もちろん、今後、『SAGARA BLOG』から『SHIMADZU BLOG』に移行するつもりはありません。
相良氏を反映する鏡として、島津氏を扱っていけたらいいな、と思います。
…今回、マニアな気持ち悪さのある文になってしまいましたね。
いつも以上に。
下のは有名な「島津の退き口(のきぐち)」の動画です。
戦場から逃げたことに変わりはありませんが、こうまでも大胆に敵軍中央突破されると、敵ながらあっぱれ、な気分になりますね(笑)。
先日、カテゴリーの部分を整理したときに、先月3月の記事が今月4月のほうに移動してしまいました。
紛らわしいことをしてしまい、失礼致しました。
本日、お知らせが2点あります。
壱.「裏SAGARA」カテゴリーを廃止いたしました。
弐.もしかすると、テンプレートを変更するかもしれません。
以上の2点です。
壱につきましては、『某Nの創作について書くより、史実の相良一家について書くほうが断然面白い』と、管理人めが考えたゆえんであります。
弐につきましては。
ただ、今のテンプレートに飽きてきただけです(笑)。
黒系ではなんだか暗いので、白系にしてみたい。
さて。
前の記事で「いま欲しい本」として挙げていた、司馬遼太郎氏の「関が原」。
…読み応えあるね!
まだ上巻の後半までしか読んでいませんが、秀吉亡き後の徳川家康、石田三成の対立はまさに頭脳戦。
まさにデスノートのLとライト(笑)。
さすが天下分け目の関が原、と言うだけあって、日本全国の諸将たちが惜しみなく登場していますね。
意外にも、相良氏に関する記述が数行もありました。
ところで。
管理人から見れば、関が原のときの相良氏は、かの有名な小早川秀秋の縮小版に思えるのです。
詳細は、B-spirit の「相良家菩提寺・願成寺」から引っ張ってきました。
石田三成ほかの供養墓説明 sagara.kirisute-gomen.com/mitsunari-s.html
HTMLファイルの名前の付け方がおかしいですね。
なんだよ、みつなりーずって(笑)。
「史実相良氏」カテゴリーの最初の記事、「静岡から熊本へ」の記事に誤りがありました。
相良氏は、伊豆での頼朝の挙兵に従わなかったから九州に下向させられたのではありませんでした。
ずばっと一言で言ってしまうなら、くにの守護役の不祥事の巻き添えを食らった、ですね。
今回は、そのきっかけとも言える事件、「橋本事件」についてです。
源氏vs平氏の時代、東海道を東下する平氏に対する関東の防備として、頼朝は遠江の守護役に源氏一族の安田義定を配置しました。
源氏軍は勝ったり負けたりしつつ、平氏の勢いを食い止めようと奮戦していました。
が、ついには、頼朝の叔父らが率いる尾張・三河両国の軍勢が、美濃の墨俣川(すのまたがわ:墨俣は現在の岐阜県南西部の地名)で平氏軍に敗退しました。
遠江の防備態勢に緊張が走ります。
その直後のことでした。
遠江の橋本で、浅羽宗信(あさば・むねのぶ)と相良三郎が、遠江の守護役である安田義定に所領を没収されるという事件が起こります。
義定は、平氏の襲来に備えて橋本に砦を築くために働き手を調達していたのですが、それに対して、浅羽・相良両氏が非協力的であった上に、義定の前を挨拶無しに馬で通り抜けて行ったことにご立腹。
さっそく頼朝に報告し、浅羽・相良両氏の所領を没収する許可を貰いました。
武士にとって一番大事なものは領地です。
これが無くなっては、食い扶持が断たれたも同然です。
後日、両氏が陳謝したため、所領・所職(しょしき)の一部は返還されました。
以上が、橋本事件です。
この出来事が、義定と相良氏を結び付ける一因となったと言えるでしょう。
…それで。
相良三郎という人物についてですが。
彼について、「全訳吾妻鏡」などでは長頼(ながより)とされているそうですが、「求麻外史」では長頼のパパ頼景とされているそうです。
求麻外史では、長頼は治承元年(1177)生まれとしているので、橋本事件のときは僅か5歳ということになるとか。
よって、相良三郎なる人物は頼景を当てるのが妥当であろう、ということだそうです。
確かに、たった5歳で宗信と組み、意図的に守護の前をすぱーんと素通りしたのなら、ある意味大物ですよね(笑)。
次回は、「相良氏 とばっちりを食らって肥後へ」をお送りします。
3月の下旬に「次回から犬童清兵衛くんについて書きますよ」とか言っておいて、今頃第1弾ですか。
遅すぎるにも程がありますよね…orz
そんなこんなで、意地と武士魂で始まった頼兄くんシリーズ。
読んでくださったら幸いです。
ありがたいです。
↓↓↓
18代相良義陽の戦死後、お家の存続すら危うくなった相良家。
そんな相良家のために奮闘したのは、犬童清兵衛頼兄のパパ・犬童休矣(頼安:きゅうい,よりやす)と、深水宗方(長智:そうほう,ながとも)でした。
ふたりは相良家の重臣です。
彼らは義陽の嫡男・亀千代(このとき10歳)を元服させて四郎太郎忠房(ただふさ)と名乗らせ、相良の家督を継がせました。
さらに、島津氏の要求に応え、忠房の弟である長寿丸(8歳)と藤千代(4歳)のうち、くじを引いて「吉」が出た長寿丸を薩摩に人質として送り出しました。
ちなみに、くじはきちんと神社で引きました。
あみだくじではありません(笑)。
しかしその4年後、忠房は疱瘡のために14歳で亡くなります。
ふたりは島津氏の許可を得て、人質として送り出していた長寿丸を呼び戻し、元服させて四郎次郎頼房(よりふさ・のちの長毎ながつね)と名乗らせ、兄の跡を継がせました。
その代わりとして、藤千代…のちの長誠(ながとも)が薩摩に出掛けました。
その後、休矣・宗方は、若さゆえか的の外れた行動をする長毎をうまく補佐していきます。
そして、時は移ろい、1592年正月。
秀吉の朝鮮出兵が始まり、諸大名に出陣が命じられました。
相良組は同年3月、日向飫肥(おび)の伊東祐兵(いとう・すけたけ)、薩摩の島津義弘・久保(ひさやす)親子らと共に肥前名護屋に向かいました。
ここでようやく頼兄の登場です。
そのとき、長毎は深水宗方の孫・頼蔵(よりくら)を軍師(or 参謀)に、犬童休矣の息子・頼兄を補佐役に命じ、ふたりに相良姓を与えたそうです。
加藤清正に属し、いざ朝鮮へ向かった相良ご一行。
…しかし。
長毎の右腕×2、といった存在だった頼蔵・頼兄は、きっわめて仲が悪かったのです。
もともと深水一族と犬童一族は確執があったそうですが、とりわけそのふたりはお互いが大嫌いだったとか。
次回、「犬童清兵衛頼兄 弐」では、その両氏の確執について書いていきます。
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「『広目天の眼 不知火の海』公演特設サイト」(劇)池田商会制作様
2008年9月14日、九州戦国史を描く演劇を上演されました
「狗小屋」黒い吟遊詩人氏
戦国島津氏が題材の「戦国島津伝」が完結し、現在は「志純太平記」を執筆されています
「犬童頼兄日記」
「殿様の御ために」日々働く犬童頼兄を創作
「さがら紀行」
人吉旅行記
「さがら検定」
さがらマニア度を検定いたします
「匠氏画廊出張所」
管理人の知り合い絵師・匠氏による武将絵です
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肥後 相良一族
(池田こういち 著)
相良氏の基礎の基礎をおさえるには持って来いの一冊です。
当ブログでいちばんお世話になっています。
街道をゆく3
陸奥のみち、肥薩のみち ほか
(司馬遼太郎 著)
司馬史観が、相良氏を斬る!
人吉のまちの様子が見えてきます。
関ヶ原
(司馬遼太郎 著)
戦国時代を締め括る総決戦。
この大合戦から、相良氏を見てみる。
欲しいもの:日本刀と笛
なりたいもの:相良氏の領民(笑)。
贔屓の相良氏:第11代長続公