忍者ブログ
マイナー武将とは言わせない!
ここでは、遠江相良氏や肥後相良氏について語ります。
言うなれば、相良氏ファンサイトですよ。




 
[99]  [98]  [97]  [96]  [95]  [94]  [93]  [92]  [91]  [90]  [89
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

度重なる『戦国魂』氏からの記事コピー…。

【相良義陽討死】天正九年(1581)12月02日
肥後響野原の合戦で相良義陽が甲斐宗運に敗れ討死する。
享年38歳。

肥後相良氏は人吉城(熊本県人吉市)を本拠とする名族で、戦国期には八代古麓城(同八代市)の名和顕忠を下して勢力を広め、肥後南部の雄として存在していました。
十八代当主となった相良義陽(よしひ)は天文十八年(1544)二月、晴広の子として木枝上田館(同錦町)で生まれました。
初め頼房と名乗り、同七年に従四位下修理大夫に叙任、将軍足利義輝の偏諱を受け義陽と改名しています。

天正六年(1578)十一月の耳川合戦で大友氏が島津氏に大敗すると、北上を企図する島津氏は次なる矛先を相良氏に向けてきました。
その頃肥前の龍造寺氏も隈府城(熊本市)制圧を策して相良氏に援軍要請を求めますが、義陽はこれを断っています。

この年の八月、島津氏は肥薩国境に近い水俣城(同水俣市)へ攻め寄せました。
守将の犬童頼安の奮戦も及ばず、結局降伏と同じ和議を結ばされる結果となり、やがて八代も島津氏の支配下となります。
そして島津義久は義陽に対し、御船城(同御船町)の甲斐宗運討伐を命じました。
義陽は同八年十一月以来、阿蘇氏の筆頭家老・甲斐宗運とは親交を結んでいました。
義久の命を拒めば滅亡は明らかで、宗運を討てば日頃の信義に背くことになります。
義陽は迷い悩み抜いた末に遂に決断を下し、宗運討伐への出陣を承諾しました。

義陽は戦死を決意していました。
彼は家臣の反対を押し切って響野原(同宇城市)に陣を敷きますが、これは正に「背水の陣」で、友人であり義陽をよく知る宗運は初めはこれを信じませんでした。
物見の報告によって事実と知った宗運は、「さては相良の命運も尽きたか、自ら死地を選んだとか思えない」とまで述べています。
宗運には彼の心中がよくわかっていたのでしょう。
決戦となったこの日、義陽は団扇を手に取り、戦いが始まっても床几に座して動かなかったと伝えられます。そこへ宗運の士・野本太郎左衛門が刀を振り上げて迫りました。
義陽は刀を抜かず、従容として討たれました。
太郎左衛門は生前の交誼から首は取らず、佩刀を取って討ち取った証としたといいます(別の士が首を取って宗運に献じています)。
宗運は変わり果てた義陽の姿に涙を流して合掌し、深く同情して義陽の死を悼みました。
義陽は歌道にも秀でた文人でもあり、家中からの信頼も厚く、また慕われていたようです。
後に生き残った犬童頼安は密かに戦場を訪れ、義陽の墓前に一首を献じました。

思いきやともに消ゆべき露の身の 世にあり顔に見えむものとは

頼安の亡君に対する思いがひしひしと伝わってきます。
義陽享年三十八。
島津氏でもさすがに気の毒と思ったか、子の忠房に家督を認めて人吉城を返しています。 by Masa
(引用終了)

森田誠一氏曰く、義陽の戦死は相良家の歴史上でも「ドラマティック」。
確かにドラマティックですが、お家のためと言えど、まだ10歳の長男をはじめとする幼い子供達と奥さんを残して死ぬのは、まだ38歳の若武者としては辛すぎる選択に違いなかったでしょう。
歴史を見ていると、「格好いい」や「潔い」などと単純に感動してしまいがちですが、ひっくり返してみると、そこには人間の生々しい部分が晒されていたりしますよね。
それを思うと、なんだかむなしくなる…のは考えすぎ(^◇^);?

以下は相良義陽関連リンク集です。
すべて別窓が開きます。
相良義陽の墓(熊本県八代市HP)
「戦国島津伝 第46章 決意」(狗小屋)
1年目7月25日(犬童頼兄日記)
第18代当主 相良義陽(SAGARA BLOG) 0:58

↓相良義陽ばっちこい!(押して頂けると、当ブログのランキングがアップします)
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ にほんブログ村 戦国時代(携帯用リンクです)
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
こよみ
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
リンク
(劇)池田商会制作様

「『広目天の眼 不知火の海』公演特設サイト」(劇)池田商会制作様
2008年9月14日、九州戦国史を描く演劇を上演されました


黒い吟遊詩人氏

「狗小屋」黒い吟遊詩人氏
戦国島津氏が題材の「戦国島津伝」が完結し、現在は「志純太平記」を執筆されています


犬童頼兄日記

「犬童頼兄日記」
「殿様の御ために」日々働く犬童頼兄を創作


さがら紀行

「さがら紀行」
人吉旅行記


さがら検定

「さがら検定」
さがらマニア度を検定いたします


匠氏画廊出張所

「匠氏画廊出張所」
管理人の知り合い絵師・匠氏による武将絵です


歴史ブログ村

歴史ブログ村(PC用リンクバナー)
ランキングに参加させていただいています


歴史ブログ村(PC用リンクバナー)

来訪者数
さがら書簡
メールフォームです。
お気軽にどうぞ。
さがら書簡(別窓開きます)
アンケート
さがら本
Amazonにリストマニアを作成しました。

肥後 相良一族

肥後 相良一族
(池田こういち 著)


相良氏の基礎の基礎をおさえるには持って来いの一冊です。
当ブログでいちばんお世話になっています。

街道をゆく

街道をゆく3
陸奥のみち、肥薩のみち ほか

(司馬遼太郎 著)


司馬史観が、相良氏を斬る!
人吉のまちの様子が見えてきます。

関ヶ原

関ヶ原
(司馬遼太郎 著)


戦国時代を締め括る総決戦。
この大合戦から、相良氏を見てみる。
領内検索
いわゆるひとつの「ぶろぐ内検索」です。
最新CM
[12/12 LesFity]
[10/22 LesFity]
[09/19 ミルグレイン]
[08/18 何某]
[08/13 相良]
最新TB
管理人紹介
HN:
某N
性別:
非公開
職業:
藩校生
趣味:
九州
自己紹介:
身分:分家生まれ。尚且つ長子でもなし…。
欲しいもの:日本刀と笛
なりたいもの:相良氏の領民(笑)。
贔屓の相良氏:第11代長続公
バーコード
お天気情報
アクセス解析
忍者ブログ [PR]