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マイナー武将とは言わせない!
ここでは、遠江相良氏や肥後相良氏について語ります。
言うなれば、相良氏ファンサイトですよ。




 
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今日は2月15日ですね。
一般的には、バレンタインデーの次の日、または毎月15日のお菓子の日、中華の日とされています。
…が。
当ブログから見ますと、今日はある方の忌日なのですよ。
これが分かったら、さがら検定3級合格(そんな検定ない!)(笑)!
…はい。
本日は、相良家第11代当主・長続(ながつぐ)の命日なのです。
彼は1468年に亡くなったので、今年で540回忌です。
享年58歳、息子の為続(ためつぐ)に家督を譲った翌年の死でした。

確かに、長毎も晴広も義陽もいい(全員長続以降の当主)。
でも、長続が本家を乗っ取らなっ…失礼、本家を護らなかったら、のちの彼らの活躍は有り得なかった。
(晴広は相良氏分流の上村氏・上村頼興(よりおき)の子供で、養継嗣だけれども。)
長続のおかげで、分裂していた球磨郡内を統一できた。
影は薄いけれども、相良家の長い歴史の中で、長続は節目とも言える役割を果しているように思えるのです。

本日は、そんな相良長続の命日。
祝うわけにはいかないけれども、相良氏ファンなら、今日1日は頭の片隅に覚えておいてみませんか?
…長続万歳!←管理人は色々と大丈夫だろうか。

※さがらおまけ情報
長続の次代・為続は三男坊です。
どうして兄2人を無視して、三男坊が跡を継いだのか。
それは、長男次男が「暗愚」であったから。
君主となるには、その素質に欠けていたからだそうですよ。
本家の長男に生まれても、やはり実力・能力で切り捨てられたりするのですね…。
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タイトルをご覧になって、「いきなり何を。相良氏は武士の一族でしょ」と思われる方もいらっしゃることでしょう。
それが実は、相良氏は、静岡県在住の頃は牧場経営者だったのだそうです。

牧場主・相良さんと、武士・相良氏は、意外に密接な関係にあります。
相良氏という一族が、相良庄を発祥の地とすることは以前書いたとおりです。
その相良庄は、九州に下向した頼景以前5代、周頼(ちかより)がその地に居住したことから始まりました。
(『相良系図』より。しかし、名字の地を得るために意図的に作成された系図であり、偽系。)
同庄は元は官牧で、白羽牧と呼ばれ、飼育した牛馬を馬寮(めりょう※)に貢納していました。
その後、官牧が廃絶され、私牧化された白羽牧は牧域を拡大、新たに相良牧が成立しました。
ここの牛は相良牛と称され、皇族や公家が使う牛車の需要を中心に「国牛ブランド」として有名だったそうです。
かの頼朝が駿河由比の浦に赴き、弓馬の芸や牛追物(うしおうもの)を観覧したとき、その牛の中に相良牛も混じっていた、という話もあるそうですよ。
さらに、朝廷で行われていた仏教儀式に、相良牛の牛乳が上納されていたとも言います。

このように、在地領主として相良牧開発責任者となり、カウボーイたちを束ねていたことが、相良氏武士化の端を発していると考えられています。

※馬寮:管理人は説明しきれないので、Wikipediaに頼りました。ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%AF%AE

いやー。
この事実、管理人は意外でした。
武家で刀を振るっていた人の元々が、牧場主だったなんて、愛嬌満点だと思いませんか?
相良牧。
言い換えれば相良牧場。
探してみたら、日本全国どこかにありそうですね。
「さがら牧場」。
試験も終わり、戻ってきました。
これで心置きなく、時間を気にせずに相良氏について調べられる日々がやって来ましたよ。
さて。
この間せっかく123訪いを記録しましたので、記念と言うには拙い絵ですが、描いてみました。
よろしければご覧ください。
sagara.kirisute-gomen.com/sagarablog123hit.html

今更こんなことを言うのもアレですが。
ひとつの家について調べていると、次々に他の家が絡み合ってきて、うっかり興味が広がってしまいますね。
相良氏では、鹿児島島津氏、大分大友氏から、秀吉公の九州征伐、果てには関ヶ原の合戦で家康公…。
ついつい、他家のことも知りたくなります。
島津家の文書の中には、相良氏に関する記述もあるようですから、他家から見た相良氏も興味深い内容です。
こればかりは、「うちはうち、他所は他所!」というわけにはいきません(笑)。
言うまでも無く、多くの家との駆け引きこそが、日本中世史のメインですしね。

そして気になるのが、相良氏は天下を望まなかったのか、ということです。
一族を生き残らせるだけで精一杯だった、とも思えます。
とある時期には、島津氏の幕下体制に組み込まれていたくらいです。
しかし、元就のように、敢えて天下を望まず、家の末永い繁栄のみを願ったのかもしれません。
その辺りも念頭に置いて、調べてみたいですね。
相良氏が天下人…うむ…(想像中)。

もう2月になりましたね。
こんにちは。
管理人は暖かい地方にいるのですが、雪の降る地方にお住まいの方々は、雪害にほんと気を付けてくださいね。

さて。
今回はお知らせです。
実は先週からなのですが、藩校生である管理人は、試験中のためBLOGの更新を自粛しております。
少なくとも、今週いっぱいは記事の投稿はありません。
当BLOGよりも、ずっと本格的な相良氏関連サイトが在ると言うのに、此処に足を運んでくださる方々には申し訳ありません。
そしてご来訪ありがとうございます。
試験が終わりましたら、相良氏に関する勉強に励みたいと思います。

あ。
本家のほうのDIARYにアップした画像ですが、こちらにも置いておきます。
パソコンの画面いっぱいに相良家家紋。
「どんだけ好きなんだ!」と引かれそうですが、よいのです。
SAGARA BLOGですから。
dabbb9da.jpeg

滅多に更新されないブログだと言うのに、いつの間にかカウンターが100を超えていました。
偶然ここに来てくださった方も、相良氏が気になって検索を掛けてくださった方も、ありがとうございます。
今年の大河ドラマが、島津分家の姫君を主人公にした「篤姫」ですから、九州地方がクローズアップされるついでに相良氏の知名度も上がるといいな、と思っていますが…甘いか(笑)。

色々サイトを巡ってみますと、相良家歴代当主の中での人気№1は義陽(よしひ)公ですね。
次が晴広(はるひろ)公、長毎(ながつね)公、といった様子。
相良氏好きの方々を対象に、相良氏人気投票を行ったら面白いかもしれませんね。

さて。
こんな、寝ても覚めても、明けても暮れても相良相良相良相良言っている管理人ですが、これからも鬱陶しいくらい熱く語っていきたいと思います。
そんなヤロウ相手でもよろしければ、どうぞお気軽にご意見を投稿してください。
この度は本当に、100訪いありがとうございました。
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なりたいもの:相良氏の領民(笑)。
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