ここでは、遠江相良氏や肥後相良氏について語ります。
言うなれば、相良氏ファンサイトですよ。
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前回、相良長毎の老臣である犬童休矣・頼兄父子と深水頼蔵は仲が悪いことを書きました。
その対立は、頼蔵の祖父・宗方(長智)の死後、より深まっていきます。
両氏の仲の悪さは、朝鮮派兵の際にも問題を引き起こしました。
長毎が渡海するとき、なんと頼蔵は一旦帰国してしまったのです。
深水一族と姻戚関係にあった竹下監物(たけした・けんもつ)がなだめて、なんとか相良軍に復帰させるほどでした。
すでに書きました通り、頼蔵は長毎の軍師です。
いくら仲が悪いからと言って、拗ねてもらっては困りますよ(苦笑)。
そんな中。
主君である長毎は、深水一族の増長に対する田地の没収や、朝鮮従軍の拒否に対する処罰に苦労します。
しかし、そこで事件が起こりました。
竹下監物が、
「これは、頼兄が深水一族を陥れ、その勢いを削ごうとしているに違いない」
と怒りを爆発させ、湯前城に拠って犬童氏の討伐計画を企てました。
同じく犬童一族に不満を持つ者は多く、600名もがこの計画に賛同します。
結局、この企ては露見し、監物は長毎に自害を命じられました。
なお、長毎はこの不穏な動きを以前から察知しており、青井阿蘇神社などに「怨敵退治」 「求麻郡内安全」を記念する願文を書いています(肥後相良氏カテゴリー『青井阿蘇神社と相良と鶏』)。
豊臣政権による検地の際にも、両氏の確執が周囲を巻き込みました。
長毎が朝鮮在陣中で領国を留守にしている間に、黒川右近が検地のために球磨に下向しますが、深水一族は検地に反対しました。
政権の命令に反対するなど、お家存続の是非に関わる問題です。
深水一族を警戒する長毎は、領内の安定を図るため、頼兄を帰国させました。
対立勢力を投入することで、深水一族の暴走を抑え、中和させようとしたのでしょう。
翌月。
長毎は、五奉行のひとり・石田三成から、領内政治に関して忠告を受けました。
もはや、相良家老臣の犬童・深水両一族の確執は、家中のみの問題ではなく、中央の政治家をも動かす事態になっていました。
次回、「犬童清兵衛頼兄 参」では、犬童・深水の対立の結末をお伝えいたします。 0:48
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